2016年4月9日土曜日

スハルト時代以来の悪習慣

IMF等への一種の「外圧批判」は、単なる民族主義的感情の高まりだけでなく、スハルト時代以来の既得権益層の生き残り戦略と密接に結びついており、今後の展開を注意深く見る必要がある。公共料金の値上げや補助金廃止への反対運動は、政治的な支持拡大をねらったポピュリスト的な色彩が強い。政権をゆさぶろうとする勢力がこうした弱者への負担増をともなうような政策イシューをことさらに取り上げ、IMFの処方隻に基づいた経済再建努力に水を差している可能性もあながち否定できないのである。

いずれにせよ、インドネシア国内には動員できる資金があまりない。外国援助であろうが外国投資であろうが、外から資金を注入しなければ経済が動かない。物乞いとまではいかないが、外に対して「いい子」に振る舞わざるを得ない現実がある。地方分権化をむかえた地方レベルにおいても、開発資金をいかに確保するかが課題である。これまで、地方での開発事業のほとんどは政府による公共投資で行なわれてきた。

しかし、地方への補助金の送り出し元である中央政府の財政が厳しい状況である上に、地方政府の自己資金源を大幅に拡大できる余地はない。地方へもっと民間投資を誘致しなければならないが、相当の時間とコストがかかる。そこで、すでに操業している企業(とくに外国企業)があれば、そこからなんとか資金を搾り取れないか、と地方政府が考えてもおかしくないかもしれない。