2015年5月14日木曜日

ソ連の石油政策

ソ連の石油政策は的確に指摘されているように、世界の石油需給・国際金融などに深い連関を有している事実である。七二年のソ連の穀物大量輸入は、一次産品市況の高騰から資源インフレ・ドル減価の引き金を引き、OPECの第一次石油ショックを誘発したと考えられ、さらに産油国の「反乱」を主導したのはリビアなどの親ソ派アラブ強硬派であった事実。

第二次石油ショック(七九~八〇年)後のOPECカルテル支配力の低下を加速したのは強硬派の安売りであるが、これは八二年末のソ述のウラル産原油の安値輸出攻勢に直面したのが真囚である。このように原油価格支配力に影響を与えうる力をソ連はもっているが、西側への活発化する石油輸出代金は農産物・ハイテク技術・プラント輸入代金および東欧諸国支援に費消され、資金供給源としてのソ連は国際金融上あまり重要ではない。

しかしソ連は、欧州にネットワークを張る直営銀行によって、むしろ逆に国際金融上は常に「借り手」である。その意味ではソ連は国際金融市場では多重債務国化しつつあるが、石油に関しては石油資源・生産大国たる事実、アラブ強硬派との政治的密着度が高いこと、有事には限界生産および供給国として戦略的・機動的に石油市況と中東諸国政治とに影響力を自由に行使できる点を看過してはならないであろう。