2015年1月13日火曜日

財政破綻はあるのか

常に期待が実現されるわけではない。期待にまったく反することが起きたとき、強い情動的な反応が引き起こされ、マインドの転換がもたらされる。楽観的なマインドが、急激に慎重になることもあれば、悲観的なマインドが、急に明るくなることもある。これは、「期待反転の法則」と呼べるだろう。期待を裏切るほどインパクトのあるサプライズが起きない限り、心理的慣性の法則により、なかなかマインドは変化しない。デフレがなぜ起き、それが持続してしまうのかを理解するうえで、心理的な要素も大きいと考えられている。平成二十二年(二〇一〇)度の年次経済財政報告も、物価の基調を決定する要因として、需給ギャップや輸入品の価格動向とともに、人々の物価予想を挙げている。多くの人が、まだ物価や賃金は上がるよりも下がると思っていると、実際そうなってしまうのである。そこから脱出するためには、期待を反転させる、インパクトのある政策が必要なのである。

未来に対して悲観的になり、収入が減りそうだとか、株や上地が値下がりしそうだとか、将来の年金は金額が減らされそうだといった不安は、将来への期待自体を萎ませ、守りに入らせる。日本は人口減少段階に入ったので、需要が低迷し、低成長にならざるを得ないという考えに囚われてしまうと、もうそこからデフレが始まるのである。ネガティブな期待が、その期待を実現し、さらにデフレからの脱出を困難にしていく。あまりにも長くデフレに陥りすぎたために、悲観的な見方からいっそう抜け出せなくなっている。医療や年金に対する不信が増幅するような事態が続いたことや、虐待や少年事件などの社会問題が噴出したことも、将来に対する悲観的な見方を強める結果になっただろう。

そうしたデフレ思考を払拭することが、日本国民のマインド全体を変え、希望のある社会を取り戻すのに不可欠である。そのためには、デフレときっちり決別することを示す明確なヴィジョンと政策が必要なのである。将来への不安という意味で、その最たるものは、将来、国家財政が破綻するのではないかという疑心暗鬼である。財政破綻が起きれば、医療、介護などのサービスが低下することは無論、年金も大幅に減らされてしまうのではないか。そういった不安が、国民の間には根強くはびこっている。それどころか、その危機がもう間近に迫っているような発言や著作に出会うことも多い。

そうした不安が現実味を帯びるようになったのは、アイスランド危機やギリジャーショックといったソブリン危機が相次ぎ、国家破産という事態が決して絵空事ではないことを思い知らされたことも影響している。国内でも、夕張市が財政破綻し、財政再建団体に転落するとともに、市民サービスの大幅なカットと増税が市民にのしかかっている。そうした報道に触れ、ますます財政破綻というものが、ありありと迫ってくるように感じられているのである。私自身、そうした危機感を強く感じていた。危機の根拠としてよく言われるのは、公的債務の合計が、このまま増え続けると、二〇一五年頃には国民の金融資産を上回ってしまうということである。国民資産を上回る債務を抱えることになり、信用力が低下し、このままでは近いうちに国債の暴落が起きるという。

一見、非常に説得力があり、多くの人が納得するだろう。よく調べてみるまで、私もその一人であった。だが、実際に調べてみると、確かに好ましい状態ではないものの、二、三年後に国債の暴落が起きて、ギリシャのようになってしまうような状態では、およそないのである。公的債務が国民資産を上回ってしまうと、あたかも「債務超過」の状態に陥るという議論は、当てはまらないのである。その点で、多くの経済の専門家が指摘していることは、同じ財政赤字といっても、アメリカやギリシャにみられた通常の財政赤字とは、性質が全く違うということである。通常、財政赤字の国では、経常収支(外国との全体の収支)も赤字であることが多く、その赤字分を海外からの借り入れで穴埋めしている。そのため、財政赤字が増えていけば、対外債務も増えていく。つまり、毎年、GDPの何%かに相当するお金を外国から借金して、国民の生活を維持している状況である。