2013年8月28日水曜日

高齢化した社会で必要な移動手段

ちなみに地下鉄の建設費用は一キロにつき三〇〇億円前後で、モノレールなら平均一〇〇億円(沖縄の『ゆいレール』八七億円)と言われる。これに対して路面電車は二〇億円。重要なことは、ランニングコストもそれに比例して安いことだ。モノレールなら那覇市内が限度でも、路面電車なら市外にまで伸ばすことができる。LRTを敷設するもうひとつの理由は高齢化である。沖縄戦で多くの大人たちが殺されたため、沖縄県は全国でもっとも高齢化率が低い。〇五年の全国平均高齢化率が二〇%に対し、沖縄は一六・一%だ。しかし、いずれ高齢化社会に突入する。住民が高齢化して困るのは移動手段である。現実に、沖縄では高齢者が車を運転していることが非常に多く、私などはいつもヒヤヒヤしている。左折右折のサインは出さない、割り込みは平気、フラフラしながら走るといったように、いつ事故を起こしてもおかしくないくらいなのだ。

高齢化した社会で必要な移動手段は、コストがかからず年寄りが気軽に町に出てこられる交通機関である。その点、LRTはバスのように停留所の間隔を短くでき、高齢者も利用しやすい。ヨーロッパがLRTの普及に力を注いだのはそのためだ。現在は車を運転できても、年を重ねれば体力的に運転はむずかしくなる。昔のように地域社会がたしかな形で存在し、相互に助け合うユイマール精神が失われていなければ、さほど心配することもないだろうが、いまやユイマールなど言葉だけで、沖縄の本土化と同時に都市から消えてしまったと言われる。とりわけ那覇周辺は、街のかたちも人間の精神も、かぎりなく本土に近づいている。

車社会の沖縄で、車が運転できなければ手足をもぎ取られるのも同然だろう。そうなる前に、高齢者が利用しやすい超低床のLRTを普及させる。ところが、沖縄にできたのは、「ゆいレール」の愛称で呼ばれるモノレールだった。総工費一〇二八億円とも言われる大工事が完成したのは〇三年。全国のモノレールがほとんど赤字で苦しんでいるなかで、なぜ路面電車ではなく、モノレールを選んだのか。路面電車だと車線を減少させるので、ドライバーの反発を恐れたという。それもあるだろうが、本音は、建設費の半分以上を国庫補助負担金でまかなえるからだと言われる。ちなみに路面電車の場合は最大で四分の一の負担金が出るにすぎない。

当初の計画では宜野湾から沖縄市まで敷設する計画もあったが、おそらくモノレールでは、延長したとしても採算がとれるのはせいぜい隣の浦添市までだ。現在は首里駅で止まっているが、無理な延仲をするよりも、モノレールとライトレール(LRT)のコラボレーションも考えてみるべきだろう。コザのライブハウスから生まれた「沖縄ロック」現在の沖縄市は復帰後の七四年まで「コザ市」と呼ばれ、日本で唯一のカタカナの町として知られた。「戦後復興」「極東最大の嘉手納基地の出現」「土地闘争」フベトナム特需」「復帰闘争」「コザ暴動」等々と、コザは激動する戦後の沖縄を象徴する町たった。今でも地元の人にとって沖縄市よりコザのほうが通りがいい。沖縄の中でコザは特別な存在なのだ。そして、私にとってもコザは特別な存在である。

コザは拙著『ねじれた絆』の舞台で、七八年から約一七年間も通い詰めた町だ。金欠のときはよく「デイゴホテル」に泊まったが、いつの間にかここのオトウサンと意気投合し、予約の電話を入れると「特別室」を用意してくれるのである。その部屋といったら、一〇人は合宿できるほど広い。気を利かしてくれたつもりだろうが、私にはあまりにも広すぎて落ち着かず、いつも片隅に寝ていた。ちょっと余裕ができたら「京都ホテル」に泊まった。コザで京都とは不思議な気がするが、当時はコザでこのホテルがいちばんよかったのだ。いつも取材がうまくいくとはかぎらず、そんなときは町に飛び出し、昔は栄華をほこった小汚いバーをハシゴし、仕上げにライブハウスで「沖縄ロック」を堪能した。これが結構おもしろくて、一夜では足りないほど堪能できた。