2015年11月10日火曜日

日本人の精神の退行化

子どもの「個」が成長し自立する過程で、自分がふさわしいと考える価値観や理念を主体的に選び出し、それを自分の人生や社会で実現すべく戦略を立てて行動できるよう子どもを教育すればよいのである。国家神道が教育によって日本人の「精神の退行化」を果たしたように、教育だけが日本人の「精神の近代化」を可能にするのである。むろん、このことによって自分とは異なる価値観や理念の持ち主との摩擦や葛藤が生じることは避けられない。だが、だからこそ相手を感情的に全否定するのではなく、「議論」と「説得」による互いの切瑳琢磨と、目的や必要に応しての「妥協」と「連帯」の技術を習得させることが大切になるのである。

理念や価値観なしの妥協や連帯は単なる「ご都合主義」にしか過ぎないが、理念や価値観をしっかり持ったうえでの妥協や連帯は理念実現のための不可欠のプロセスである。それに理念や価値観を同じくするもの同士だけでなく、異なるもの同士の間での妥協や連帯の仕方を学ぶことにより、互いに理念を異にするもの同士が感情的に反発しあうだけで、最後は互いのタコ壷に龍ってのコミュニケーション不全状態となる結果を避けることができるのである。価値観や理念の「競争」は「共生」あってのことなのである。

また国際関係においては、西欧の要塞文明が理念や価値観を異にするもの同士の間での「合従連衡」の巧みさを日本人もしっかり学ぶべきである。世界史を見れば、英米がソ連と組んでナチス・ドイツと戦ったり、アメリカが共産中国と組んでソ連と対峙したりと、枚挙にいとまがないほどである。理念や価値観がまったく異なっていても、目的が合致すれば「連帯」できるのが西欧の連合戦争神の「連合」たる所以なのである。