2016年2月9日火曜日

科学的という基準で判断する

たとえば時計を分解することは、再構成することよりずっとやさしいことである。それは、時計が故障していてもいなくても同じである。たとえ複数の時計を分解して部品毎に整理したとしても、やはり組み立てるのは難しい。これは、部品の間にあった関係が明確でなくなるからである。いいかえると、これらの関係がすべて偶然であるということになる。

このように科学的という基準では、すべての対象を要素に分解して、あらゆる要素間の関係を緩いものにしてしまうと同時に、対象の全体像ははっきりしなくなる。これは、部分を再集合しても全体にはならないという言い方とも関係がある。

べーターファージ本来の遺伝子とジフテリア毒素遺伝子をいったん分けると、両者の関係は偶然となってしまうので、それ以上の説明や意味付けは不要であるばかりでなく、かえって誤った理解さえもたらすことになるという見解がある。

この見解に従えば、ペーターファージや破傷風菌のプラスミドが毒素遺伝子を保有しているということが事実であっても、その事実に対する説明や解釈は、無用のものであると断言してもよいことになる。換言すれば、ファージやプラスミドと毒素遺伝子の結び付きは、説明を受け付けない「偶然」のものであるから、このような「偶然」の結び付きを「必然」のものとする説明は誤っているに違いないということになる。