2014年5月23日金曜日

中国に求められている穏歩

東アジアは、伸びゆく経済力を伸びゆくままに伸ばし、これを交渉力の源泉として、アメリカの安全保障上のコミットメントをいかに東アジアに引きとどめるか、議論すべきアルファであり、オメガがこれである。東アジアの未来のフロンティアが中国である、という洞察において大方の異論はあるまい。それにもかかわらず、東アジア経済論を主題としてきたために、中国それ自体を大きく取り上げることができなかったのは、いささか残念である。

「冒進」と「反転」の大きなサイクルをくりかえしてきたのが、毛沢東時代の中国であった。鄙小平の時代になって、そのサイクルの落差は縮まったとはいえ、サイクル自体はなおなくなっていない。しかし中国が、市場経済化と対外開放という、毛時代からすれば信じ難いほどに大胆で柔軟な挙にでて、東アジアにおける活性の貿易・投資ネットワークのなかに「ビルトイン」されつつあることはまぎれもない。

国際的封鎖体系のもとで、「冒進」と「反転」を、それが対外関係におよぼす影響など顧慮することなく、独善的にくりかえしえたような状況は、現在の中国にはもはやない。「冒進」と「反転」を引きおこせば、容易に癒すことのできない手ひどい傷を、中国経済が負わねばならないからである。中国の国際経済への積極的参入は、中国の経済政策それ自体を国際的に調和のとれたものに変質させていくのに寄与するであろう。GATT加盟にせよオリンピック開催にせよ、国際社会は中国にもう少し寛容であってしかるべきだと思う。

郵小平の時代におけるこの国の高成長は、なんらかの固有の改革デザインがあって、これにもとづいて実現されたものではない。毛時代の厳格な集権的統制の「紐」を解き、ある種の経済的「アナーキー」(無政府状態)をつくりだしたことによって、集権的統制の時代に誉屈していた農民、企業、地方のエネルギーを噴出させたことの帰結である。郵小平時代の指導部がなしたのは、この農民、企業、地方の自由な行動の軌跡を追認し、その向かうべき方途に「物質的刺激策」をもって対処したというにとどまる。しかし、この方式に国民はまことに適合的に行動したのであり、これが現在の中国の高成長の内実にほかならない。

2014年5月2日金曜日

コシヒカリ行列

このところ、スーパーからも米屋の店頭からも米が消えたといって、話題になっている。この国に米がないわけではなく、円滑に出回っていないということで、理由は農家と業者と消費者が、ためこんでいるからだという。ためこんでいない農家や業者や消費者もいるが、値上がりを見越してためこんでいる商人かおり、品薄と聞くと買いだめに走る消費者がいることは確かで、人がそのように動けば、店頭から米が消えもしよう。この現象を新聞、テレビが煽っている、という批判の声が出ているが、マスコミは、煽る気はない、事実を報じているだけで、それかマスコミの責務だ、と言うだろう。

けれども、大半のメディアは、鎮める方向ではなく、煽る方向で報じているように、私には思える。特にテレビは、例によって例のごとく、視聴率を上げるための表現以外のことは、まるで考えないかのようである。キャスターと呼ばれる人たちの発言の影響力は絶大である。キャスターが、輸入米には安全性に問題があるなどと二言言おうものなら、何百万人もの人が、輸入米を口にしたらたちまち体をこわすような気持になる。テレビはそれはどの力を持っている。

ロサンゼルス在住の邦人が。おいおい、それじゃ明け幕れカリフォルニア米を食っているオレは、とっくに死んでなきゃならないことになるぜ、と雑誌のエッセイに書いたぐらいでは、とても太刀打ちできない。マスコミの言う、平成米騒動だの、平成米パニックだのという言葉も、人々の不安を煽っているのではないか。まだ、騒動だの、パニックだのと言うほど切迫した状況ではないのではないか。

なるほど、米買いの行列が、ところによってできているようだが、そんなものは、騒動でもパニックでもあるまい。せいぜい、コシヒカリ行列、国産米行列といったところではないか。なに、テレビに煽られても、国民はそれほど馬鹿じゃない。一面では現実を肌で感じているから、コシヒカリ不足ぐらいでは逆上しない。

このところ米が出回らないといっても、他の食品は、これまでどおり豊富である。パンもあれば、ウドンもある。弁当屋さんや食堂からご飯が消えたわけではない。野菜も肉も調味料も、なんでもある。これだけふんだんになんでもあって、目下国産米だけが品薄なのである。

人は、コシヒカリが買えなきや。カリフォルニア米を買うのである。カリフォルニア米が買えなきや、タイ米を食うだろう。今に、安全性など誰も言わなくなる。なに、コシヒカリがなけりや、カリフォルニア米や豪州米がうまくなる。それが食えなきや、タイ米がうまくなる。そうなってもこの国が飽衣飽食の国であることには変わりがなく、国民はそれぐらいのことは知っている。パニックなどにはなるわけがない。