2014年10月9日木曜日

「行政改革」のスタート

国会や霞夕関の官庁街から徒歩で十分ほどだ。虎ノ門のビジネス街にメタリックーゴールドの十一階建ての第十森ビルがある。ビルの正面一階の右隅に新橋警察署の交番があり、白塗りの警察官用の自転車が止めてあった。

一九九八年七月二十一日の朝、白いワイシャツに黒や紺の背広姿の男たちがビルの三階と四階に集まってきた。女性の姿も交じっている。四階の受付の入り口に「中央省庁等改革推進本部事務局」という看板、かかかっている。

日本には主要な法律が千七百本ほどある。この事務局で、その内の千本内外の法律を書き変え、数十本の法律をあらたにっくる大規模な作業が行われる。それは、ある意味で日本をガラッと変える可能性を秘めている。

橋本龍太郎首相(在任、一九九六年一月~一九九八年七月)が唱えた「六大改革」のうち同首相がもっとも力をいれていた「行政改革」が実際に動き出したのである。現在の二十二省庁ある中央官庁組織を一府十二省庁に半減することを目玉にした橋本行革の本格的な準備作業は、提唱者が同月十二日の参議院選挙で自民党が過半数を大幅に割り込む敗北を喫して辞意を表明した直後にスタートする皮肉なめぐり合わせになった。

この事務局は、橋本首相の後継者である小渕恵三首相を本部長として全閣僚を本部員とする行政改革推進本部の実働部隊である。お目つけ役として、今井敬経済団体連合会会長(新日本製鉄会長)ら九人をメンバーとした顧問会議が控えている。

事務局員は、一九九八年十一月現在で百二十八人である。そのうち民間人は十六人にすぎない。圧倒的に各省庁からの出向者が多く、官僚主導である。ちなみに河野昭事務局長は総務庁行政管理局長から横滑りした。出向者たちは「虎ノ門勤めは約三年」と言い渡されてやってきた。この行政改革による新体制への移行開始は二〇〇一年一月となっているからである。