2013年3月30日土曜日

次の瞬間を読む目

この瞬間がすごく魅力的に見えたのでシャッターを切りました。何回かそれを繰り返すうちにムッとした顔になり、ついに「ちょっとお」と抗議されてしまいました。「タイミングが合ってないじやない、わたしに合わせてよ」と怖い顔。もういい顔は撮れたと思ったので、数枚タイミングを合わせて撮影終了。この狙い通りの写真がカラーグラビアを飾りました。女優さんの感想が聞けなかったのは残念でしたが、われながら満足のゆく出来でした。

「顔」が商売の人は、いくつもの表情を用意しているつもりでしょうが、つくり顔には撮るほうもすぐに飽きてしまいます。そうなると、ちょっと違った表情を探したくなります。これは決して意地悪からではなく、つくり顔をしてない瞬間のほうがその入らしさが出るからです。レオナルドーダービンチの「モナーリザ」は謎の微笑で有名です。確かに微笑しているように見えますが、目は笑っていません。口許は笑ったあとのようでもあり、笑う直前のようにも思えます。ほおは微笑する寸前のようにも見えます。筆者の鑑賞眼では、せいぜいこんな感想しか申し上げられませんが、「この微笑は動いている表情の変わり目の一瞬を描いた絵だ」という説があるそうです。筆者もこの説に賛成です。顔のどこかが動き始めている、声をかけられ、心の中で気持ちが動いた瞬間のように思えるからです。

女優さんとのタイミングが合わなかったばっかりに会心の写真ができたと、自己満足ついでに言わせていただけば、もしかして「モナ‘・リザ」は、製作中にレオナルドーダービンチとモデルの貴婦人との間に起きた、何らかのチグハグさから生まれたものではないでしょうか。なんて、とんだお笑いぐさでしょうか。まだ十四、五歳の中学生の頃、校庭で暗くなるまで野球をして遊んでいたときのことです。いよいよボールが見えなくなって帰ろうかというとき、グローブが一つ見つかりません。探そうにも、ホームベースからは内野のベースくらいまでしか見えません。

そのとき、仲間の一人がセンターとライトの間にある鉄棒のあたりを指さして、あそこにあると言ったのです。みないっせいにその方角を見ましたが、もう暗くて何も見えません。ところが指さした本人は、グローブの横にボールも見えると言います。数人が黙って鉄棒に向かって走り出しました。すると、確かにそこにグローブとボールがあったのです。みな口々に、明るいうちから知ってたんだろうとか、お前が忘れてきたんだろうなどと言って、誰も彼の言うことを信じませんでした。

それから十数年後、タイのバンコクでお坊さんたちの生活や、日本人のお医者さんを撮影したあと、タイ料理の食材で人気の、食用蛙を捕る名人を取材しました。暗くなってからジープで三十分、バンコク市郊外に広がる田園地帯に行きました。名人は三十歳くらいの小柄な人で、左手に薄暗い懐中電灯、右手には先に鈷のついた三メートルくらいの竹竿を持ち、田んぼの畦道を抜き足で進んでいきます。懐中電灯といってもロウソクの光ほどで、名人の姿が闇の中にやっと見えるぐらいです。そのうち、やおら足を止め、鈷をゆっくり頭上に構えると、五メートルほど先に狙いを定めました。