2015年10月9日金曜日

自然環境と人間環境との相違

バウハウスといえば、一九一九年八月に誕生したワイマール共和国の要請で、ドイツの建築家ワルター・グロピウスらが構想した総合的な造形学校として知られる。建築を主軸とし、芸術と技術とが手を結んで、新しい時代にふさわしい生活環境の創造に、グループの力を通じて寄与するという理念をかかげてスタートしたこの運動は、その後の社会の変遷とともに紆余曲折の歴史をたどることとなった。

その最も象徴的なモニュメントが、創設者グロピウス白身の設計による「デッサウのバウハウス校舎」であろう。この校舎は、工業化時代を迎えた二十世紀初頭における、ドイツ特有の機能美と構造とによって統一され、ガラスーカーテンウォールを初めて採用した画期的な建築として注目された。こうして、この校舎で行われた講義や共同作業などを通じて多数の人材が輩出されるとともに、機能性とシンプルな美しさに富む、さまざまな生活用具が生みだされた。

ところが、やがて台頭してきたナチズムの価値観にとっては、バウハウスの理念も表現スタイルもことごとく相反するものだった。とくに、バウハウス校舎のガラスーカーテンウォールはヒトラーの嫌悪の的となり、やがて無残にも煉瓦の壁に替えられてしまったのである。ナチス=ヒトラーというフアナティカル(狂信的)なリーダーの偏見にもとづく愚行であったとはいえ、その価値観なり理念を支え信奉した多数の国民が存在したことを考えると、複雑な思いにかられるのである。

ところで、さきほど、自然環境と人工物環境とのあいだに、ほどよい調和が保たれていることがアメニティの基本でなければならないと述べたが、″ほどよい調和″とは、いったいどういう状態を指すのかということは、非常に大きな問題であろう。そこで、あらかじめこの点について若干の説明を加えておきたい。

その場合、自然環境とはなにかということと、それに対する人工物環境(人間環境)との関係について、まず念頭にいれておく必要があると思われる。″自然環境″という言葉のなかには、すでにご承知のように、″自然″および″環境″という二つの概念がふくまれている。ごく常識的にいえば、人工化されていない自然の状態を保った環境ということになろうが、これではあまりに漠然としていて、つかまえどころがない。そこで、もう少し説明させていただこう。