日本ではこれまでこのような体外受精など生殖技術の実施については、どこでどのような治療が行なわれ、どのくらいの成功率かなどほとんど公表されていない。不妊に悩む人々の口コミが多く、なかなか体系立った情報や体験者の声などが伝わりにくい状況にある。最近、『不妊』(晶文社)を翻訳出版した「フィンレージの会」が活動し始めたが、公けに改善要求など出す場もない。さらに法的な規制もなく、医師たちの自覚によって守られることを建て前とした日本産科婦人科学会の「見解」にゆだねられている。しかも学会では、これらの不妊治療に対する法的な規制には、反対の態度をとっているから、当分不妊カップルたちの混乱は続くであろう。
現在、出産は、限りなく医療に近い領域と考えられている。それは病院で、妊産婦やお産の終わったばかりの女性を、「患者さん」という言葉で扱っていることからも、容易にうなずくことができる。また妊産婦側でも、月一回検診に通って、白衣の医者に診てもらい、自分の状態を教えてもらうため、ほとんどの人々が自分を医療の必要な患者のようにみなしていることも事実である。
しかし、他方、健康に近い状態だからこそ、女性の身体に妊娠が成立することを考えれば、お産はまた医療から一番遠い領域にあることも事実であろう。いまのように、ほとんどの妊産婦が規則正しく病院へ通い、医療にきちんと管理されるようになったのは、産科医が助産者の主流となった一九六〇年代以降のことだが、しかしそうなるための精神的な下地は、もう明治の始まりから、いや黒船が来た時から準備されたものだといえる。
一八五三年、ペリーのひきいる黒船が来た時、「たった四はいで夜もねられず」と人々は大騒ぎしたが、とくに武士たちは驚いた。青い目、金色のひげをはやした大きな身体の男たち。自国の技術では木の船しか作れないのに、彼の国では、真黒い煙をはく大きな鋼鉄の船を作り、大砲を作り、それをトーンと打ってやって来たのだ。西欧の優位に人々が脱帽したのも無理はない。
実際に日本の医療が、これまでの東洋医学をすてドイツ医学を採用することに決めたのは、その一六年後の一八六九(明治二)年だが、すでに黒船がやって来た時に、日本の西欧への劣等感とあこがれ、追いつけ追い越せの精神は始まっていたといえる。こうして取り入れられることになる西洋医学は、実はちょうどヨーロッパでも、これまでの人体解剖の積み重ねによる形態解剖学的、あるいは解剖生理学的人体論とは一線を画するような、病原性細菌類による病因論の確立と、その原因となる病原性細菌類の大量発見への下地がどんどん整いつつあった。
それは病気の原因を、いわばヒポクラテスの想像した「えたいの知れないもやもやした気」(「庫気説」)から、はっきりと目に見える微細生物へと、ビジュアル化する大発見であり、これまでただ祈るしかなかった疫病への対策を、初歩的ではあったが人間の側からアタックする第一歩へとつながるものでもあった。
2012年12月25日火曜日
2012年9月3日月曜日
人間もまた含みをもつことによって「人格」なのである。
人間もまた含みをもつことによって「人格」なのである。ある青年は人と対談している際に、自分だけが知っていて相手か知らぬというプライヴェイトなものがないと感じたとき、自分をすっかりだしつくしてしまったと感じたとき、「まるで自分がもう自分でないような、自分固有の人格をなくしてしまった気がした」とのちに語っている。
ところでダイジェストするためには、言語的表現だけをたよりにアレンジしなければならぬので、ことばとなれない含蓄的生命は諸過されしたたってしまい、のこったものは水気のきれたむくろにすぎない。しかしそれでよいのかもしれない。凝固したくりかえしのなかでりるおいを切らしてしまった機械社会の人々は、もう生命的躍動的な心に感入できる心の持主ではなかろうから。
消化雑誌にもられた物語をいくつかつづけてよんでいると、気分かいらいらしてくる。こうした経験をもつ人はまれであるまい。なぜか。解答はいたって簡単である。私どもは展開のないラヴェルのボレaをきかされっづけていると、あの単調な旋律がいろいろの楽器に次から次へとうつされてつのってくるのとともに、言いようのないいらいらした不快さにこじれてくる。
それは消化雑誌の不快さと本質において少しもかおりない。単調なもの、こわばったもののくりかえしを強いられたとき、私どものなかに凝固的反復に反抗する弾性的生命があってこそ、あのいらだたしさか生まれるのではないだろうか。たえずながれ発展していく内的生命が、外から強いられた涸渇に対する怒りのうなり声、このうなり声がたまって「いらいら」の感情となったのである。
昼間機械のリズムに自分をあわせていた人は夜になって解放されて何をいとなむのであろうか。彼はあしたに耕して夕べに書をひもとく生活をいとなむ人とちがって、日がおちてから自分にもどるわけにいかない。なぜといって、もどるべき自分は自分でなくて、心の心けだあやつり人形だったからである。彼が夜のくるのをまちうけてすることは、このよりな無生命の自分をわすれること、そこで底ぬけさわぎ、ばか話、社交舞踏、堕落への耽溺がはじまる。
このいとなみの陽気さかるやかさは、しかし生命充実的な快活さとは似ても似つかない。ほんとうの快活とは、自分のからだにみなぎる生活感を人々とわけあう。たがいに協和音を生みだそうとするものだ、か、氏ぬけさわぎの方は相互了解をもとめてつきあっているのではなくて、自己忘却をのぞんでいるのである、したがってまずうごくこと、それが不可欠だから、そうそうしい急速調の踊りが流行する。キィキィと関節がなりだしそうな機械じかけの踊り、それは生のよろこびをふりまく村人の踊りとは根源的にちがう近代化された骸骨の踊りでもあろう。
ところでダイジェストするためには、言語的表現だけをたよりにアレンジしなければならぬので、ことばとなれない含蓄的生命は諸過されしたたってしまい、のこったものは水気のきれたむくろにすぎない。しかしそれでよいのかもしれない。凝固したくりかえしのなかでりるおいを切らしてしまった機械社会の人々は、もう生命的躍動的な心に感入できる心の持主ではなかろうから。
消化雑誌にもられた物語をいくつかつづけてよんでいると、気分かいらいらしてくる。こうした経験をもつ人はまれであるまい。なぜか。解答はいたって簡単である。私どもは展開のないラヴェルのボレaをきかされっづけていると、あの単調な旋律がいろいろの楽器に次から次へとうつされてつのってくるのとともに、言いようのないいらいらした不快さにこじれてくる。
それは消化雑誌の不快さと本質において少しもかおりない。単調なもの、こわばったもののくりかえしを強いられたとき、私どものなかに凝固的反復に反抗する弾性的生命があってこそ、あのいらだたしさか生まれるのではないだろうか。たえずながれ発展していく内的生命が、外から強いられた涸渇に対する怒りのうなり声、このうなり声がたまって「いらいら」の感情となったのである。
昼間機械のリズムに自分をあわせていた人は夜になって解放されて何をいとなむのであろうか。彼はあしたに耕して夕べに書をひもとく生活をいとなむ人とちがって、日がおちてから自分にもどるわけにいかない。なぜといって、もどるべき自分は自分でなくて、心の心けだあやつり人形だったからである。彼が夜のくるのをまちうけてすることは、このよりな無生命の自分をわすれること、そこで底ぬけさわぎ、ばか話、社交舞踏、堕落への耽溺がはじまる。
このいとなみの陽気さかるやかさは、しかし生命充実的な快活さとは似ても似つかない。ほんとうの快活とは、自分のからだにみなぎる生活感を人々とわけあう。たがいに協和音を生みだそうとするものだ、か、氏ぬけさわぎの方は相互了解をもとめてつきあっているのではなくて、自己忘却をのぞんでいるのである、したがってまずうごくこと、それが不可欠だから、そうそうしい急速調の踊りが流行する。キィキィと関節がなりだしそうな機械じかけの踊り、それは生のよろこびをふりまく村人の踊りとは根源的にちがう近代化された骸骨の踊りでもあろう。
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