一方では、「カッサンドラ」で終わるのは御免だと思う有識者もいるにちがいない。また、自分の考えを国の政策として現実化したいと考える有識者がいたとしても、それはそれで「知」に一生を捧げると決めた人にとっての選択肢の一つではある。そしてこう考える人には、マキアヴェッリの次の一句が参考になるかもしれない。「武器をもたない予言者は、いかに正しいことを言おうが聴き容れてもらえないのが宿命だ」武器とは、この場合は聴くよう他者に強制できる力のことだから、権力と言い換えてもよい。つまり、「カッサンドラ」になりたくなかったら、権力をもつべきだと言っているのである。意に反して一生を「カッサンドラ」で終始してしまったマキアヴェッリの、自らの体験から得た苦い教訓でもあった。
それでこの場合の権力だが、格好な具体例は竹中平蔵氏ではないかと思っている。つまり、審議会の一員であるよりも、直接に公的に国政にタッチするほうを選択した例として、彼の行いつつある政策が真に日本のためになるかという問題は、ここでは措く。それよりも、カッサンドラか竹中平蔵か、とでもいう感じで有識者が問われている、生き方の例としてである。というわけだが、審議会常連の諸先生方は、どちらを選ばれるのであろうか。
日本では、昨今とくにいちじるしい倫理の低下は、日本人が宗教をもっていないがゆえだと思っている人が多いようである。そして、そう考える場合の「宗教」とは、キリスト教やイスラム教に代表される一神教こそが宗教の名に値するのであって、それ以外の信仰は宗教ではなく、「それ以外」が多い日本人は宗教心をもっていないと言いたいらしい。この想いが、一神教を信ずる国や人への劣等感の一因になっているようだ。
ならば、一神教タイプの宗教が存在しなかった時代には倫理も存在しなかったはずだが、それはまったくの嘘である。古代のギリシアもローマも多神教だったし、日本だって「八百万」が正確な数かどうかは知らないが、多神教でつづいてきた。それでいて、倫理がなかったとは言えないだろう。また、一神教の宗教を信じていさえすれば倫理は保証されるというのも、キリスト教とイスラム教の過去と現在を見ればおおいに疑問である。私の住まいは、ローマの街中を流れるテヴェレ河の東岸にある。家の前を流れるテヴェレの対岸、つまり西岸には、キリスト教カトリックの本山でもあるヴァティカンがある。その聖ピエトロ広場に集まった信者たちに、ローマ法王が短いスピーチをし祝福を与えるのは、日曜ごとにくり返される恒例の行事になっている。
信者といっても観光地化したローマのこと、上地っ子よりも外国人のほうが断じて多い。私もイタリアに来た当初は好奇心もあって何度か参加したが、その後は、テヴェレ河を渡るだけなのに無縁になった。それでもイタリアはキリスト教国なので、お昼のテレビニュースでは、その朝に法王が何と言ったかは報道する。それを見、聴きながら思う。なぜ二千年もの間、同じことをくり返して言えるのだろうか、と。ローマ法王が信者に向って説くことのほとんどは、私のようなキリスト教を信じていない者から見ても正しいのである。イエスーキリストの教えに忠実な生活をせよというのには無関係でも、平和が人類にとっての最上の価値であり、戦争は悪であるがゆえにやめるべしというのには双手をあげて賛同する。
2014年8月12日火曜日
金融危機への財政解決法
十年前、東アジア金融の危機は、タイに始まって東アジア全体に拡大し、インドネシアではスハルト独裁政権の退陣につながり、ロシアやブラジルなどの新興市場にも打撃を与えたことを思い出してほしい。あのときの国際通貨基金(IMF)に、どんな印象をお持ちだろうか。人によっては、印象をなんら持っていないかもしれない。というのは、主に頭文字だけで知られている国際組織は、精彩のない存在とみなされやすいからだ。あるいは、韓国やタイなど各地で、IMFを非難したプラカードを掲げた、大規模で派手なデモを思い出すかもしれない。
私はジャーナリズムに従事しているので、思い出すのは別のイメージだ。それは、険しい顔つきで、腕組みをしているフランス人の写真なのである。このフランス人は、一九八七年から二〇〇〇年にかけて、IMFの専務理事を務めたミシェルーカムドシュ氏だ。インドネシア政府は、財政赤字を削減し、緊縮財政を実行することを条件にIMFから巨額の融資を受けたが、腕組みをしている場面は、その協定を行った際の調印式である。
この写真は、後に世間から、IMFの帝国主義的やり方を示す、悪名高いシンボルとみなされるようになった。その一、二年後だったか、私は、ジャカルタのインドネシア高官の事務所に、一九九七年から九八年の事態がいかに深刻だったかを思い出させるために、この写真が掲げられているのを見た。それは、IMFが問題解決に乗り出すときは、常に痛みを伴うものであり、何よりも予算削減を求められることを思い出させるのだ。
現在、富める国に金融危機が拡大している。アメリカが中心だが、英仏両国や他の欧州連合諸国だけでなく、ある程度地球規模でも影響を及ぼしている。その時期にIMFの同じフランス人の首脳が、世間を再び驚かせたのである。二〇〇七年、IMFの新専務理事となったドミニクーストロスカーンは、金融危機に際して、政府の歳出削減を条件とする、旧来のIMFの手法を放棄したようだ。すなわち、彼は、二〇〇八年一月下旬、ダボスで開催された世界経済フォーラムの場で、続いて一月三十日付『フィナンシャルータイムズ』紙上で、金融危機に対処するため、財政赤字を拡大し、さらに財政政策上のあらゆる手段を講じて、経済成長を促進するよう各国政府に呼びかけたのである。
これは驚くべき発言ではなかったかもしれない。なぜなら、ストロスカーン氏は、社会党出身のフランス元財務相で、フランス社会党には、財政赤字はよい結果をもたらすと信じる人が多くいるからである。彼は過去において、緊縮財政の考えを持つとみなされていたが、最も驚かされたのは、その発言のタイミングである。アメリカは景気後退に陥り、世界的な経済停滞につながると多く予測されているが、今のところそれが起きたという確固たる証拠はない。たしかに米国の失業率は悪化しているが、現在、わずかなト昇にとどまっている。
私はジャーナリズムに従事しているので、思い出すのは別のイメージだ。それは、険しい顔つきで、腕組みをしているフランス人の写真なのである。このフランス人は、一九八七年から二〇〇〇年にかけて、IMFの専務理事を務めたミシェルーカムドシュ氏だ。インドネシア政府は、財政赤字を削減し、緊縮財政を実行することを条件にIMFから巨額の融資を受けたが、腕組みをしている場面は、その協定を行った際の調印式である。
この写真は、後に世間から、IMFの帝国主義的やり方を示す、悪名高いシンボルとみなされるようになった。その一、二年後だったか、私は、ジャカルタのインドネシア高官の事務所に、一九九七年から九八年の事態がいかに深刻だったかを思い出させるために、この写真が掲げられているのを見た。それは、IMFが問題解決に乗り出すときは、常に痛みを伴うものであり、何よりも予算削減を求められることを思い出させるのだ。
現在、富める国に金融危機が拡大している。アメリカが中心だが、英仏両国や他の欧州連合諸国だけでなく、ある程度地球規模でも影響を及ぼしている。その時期にIMFの同じフランス人の首脳が、世間を再び驚かせたのである。二〇〇七年、IMFの新専務理事となったドミニクーストロスカーンは、金融危機に際して、政府の歳出削減を条件とする、旧来のIMFの手法を放棄したようだ。すなわち、彼は、二〇〇八年一月下旬、ダボスで開催された世界経済フォーラムの場で、続いて一月三十日付『フィナンシャルータイムズ』紙上で、金融危機に対処するため、財政赤字を拡大し、さらに財政政策上のあらゆる手段を講じて、経済成長を促進するよう各国政府に呼びかけたのである。
これは驚くべき発言ではなかったかもしれない。なぜなら、ストロスカーン氏は、社会党出身のフランス元財務相で、フランス社会党には、財政赤字はよい結果をもたらすと信じる人が多くいるからである。彼は過去において、緊縮財政の考えを持つとみなされていたが、最も驚かされたのは、その発言のタイミングである。アメリカは景気後退に陥り、世界的な経済停滞につながると多く予測されているが、今のところそれが起きたという確固たる証拠はない。たしかに米国の失業率は悪化しているが、現在、わずかなト昇にとどまっている。
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